Back of My Mind - H.E.R. |「R&Bは死んでいない」H.E.R.の言葉と心の奥底に眠る想い / album review

August 24, 2021

デビューアルバムとしての違和感

H.E.R.(ハー)の最新アルバムがデビューアルバムであることを聞いて違和感を覚えたのは私だけではないはずだ。もっとも1,2作目の『H.E.R.』と『I Used To Know Her』をはじめ、数多くのプロジェクトをリリースしてきた彼女は、既に名実共にシーンを代表する存在になり、新人という言葉からはかけ離れていたからだ。

では、なぜ彼女は今回のアルバムをデビューアルバムとして位置付けたのだろうか。もちろん契約的な理由もあるかもしれないが、それが「CDをリリースしたから」や「メジャーレーベルと契約をしたから」といった一般的なデビューの定義に当てはまらないことは確かだろう。ただ一つ推測できるとすれば、それには嘗てない程の自信と覚悟、あるいはデビューたらしめる彼女なりの確固たる想いが投影されているはずだ、ということだ。

今回はそんなH.E.R.が自身のデビューアルバムと位置付ける『Back of My Mind』について、デビューまでの生涯を振り返りながら、デビューアルバムたる所以を考えつつ、その魅力を検証していきたい。

 

王座への道のり

1997年、マライア・キャリーが7作目のアルバム『Butterfly』で自らを蝶と例え新たな決意と共に羽ばたこうとしていた頃、R&B界の新たな蛹ガブリエラ・ウィルソンはまさに羽を広げようとしていた。

カリフォルニア州ヴォレーホでフィリピン系の母親とアフリカ系の父親の間に生まれた彼女は幸運にも小さい頃から音楽に囲まれる環境で育った。日頃から家のリビングで父親のバンドがリハーサルをする姿を眺めたり、家族パーティで歌が好きな母親と一緒にカラオケをしたりと、両親の影響もあり僅か5歳で作詞作曲や楽器を習い始めたという。

10歳の時に出場したテレビ番組「The Today Show」でアリシア・キースの「If I Ain’t Got You」を見事に歌い上げ、その後もニューヨークのアポロ・シアターなどで披露を重ねた彼女は、幼いながらもその並々ならぬ歌唱力と才能を見込まれ、14歳でRCAレコードと契約した。2014年ギャビー・ウィルソン名義でリリースしたデビューシングル「Something to Prove」は、アイズレー・ブラザーズ「Between The Sheets」をサンプリングしており、心地よいビートの上を泳ぐ安定感抜群の彼女の歌声を聴けば、この頃から類まれな才能を示していることに気づくだろう。

しかし、そんなギャビー・ウィルソンのキャリアは順風満帆にはいかなかった。生まれて間もなくアーティスト活動を始め、その圧倒的な若さというアドバンテージを持つ彼女にとって、歌で何かを伝えるには人生経験が足りず、自分が何者か分からなくなってしまったのだ。前述したデビューシングルリリース後もアーティスト活動を継続していた彼女だが、そのような精神的な問題やレーベルとの契約の問題もあり一度シーンから身を引くこととなってしまった。

2016年、そんな状況を打開すべくプロデューサーのスワッガー・シリアスを中心に動き出したギャビー・ウィルソンのリブランディングプロジェクトこそがH.E.R.だ。「正体を伏せて、外見やライフスタイルより音楽が先にみんなに届くようにしたの。今の時代、ソーシャル・ネットワークで見た目や行動とか、音楽以外のことで判断することが多いじゃない?だから、まず音楽を、歌詞を聴いて共感してほしかったの。」と彼女自身が語るように、H.E.R.は容姿やブランドよりも音楽が最初にリスナーを届くことをコンセプトとしたプロジェクトであった。

H.E.R.名義の初期EP3作品を纏めたコンピレーションアルバムとしてリリースされた『H.E.R.』では、身近な出来事についての10代ならではの純粋でリアルな感情が歌われており、「Losing」におけるアリーヤ節の引用や「Wait For It」でのフロエトリー「Say Yes」のネタ使いなどをはじめ、R&Bファンが喜ぶような仕掛けも随所に光っていた。アンビエントな音像とトラップ的感覚での音の配置、唯一無二の歌声は、当時「オルタナティブR&B」と一括りで語られることが多かったR&Bシーンの中で明確な存在感を放ち、そのジャンルのあいまいさを払拭するかの如く確固たる爪痕を残した(同作はグラミー賞最優秀R&Bアルバム部門を受賞している)

今思えば2015年にブライソン・ティラーが『TRAPSOUL』でトラップ・ソウルというジャンルを確立し、それがR&Bの定石となる風潮の中で、彼女はR&Bの根幹にある歌唱やそのメロディーメイクによってR&Bの新たな道を模索していたように思える。

2作目の『I Used To Know Her』は自身の更なる可能性を探るべく、ロバート・グラスパーやウィリス・レーン、D・マイルズなど幅広い制作陣と組んだことで話題となった。とはいえ「Lost Souls」や「As I Am」でのローリン・ヒルへのオマージュや、不健全な恋愛関係でもがき苦しむ姿を歌った「Hard Place」のような共感を呼ぶリリックを聴けば、一貫して歌い手が誰であるか以前に、彼女の音楽がR&Bファンの耳に届くよう設計されていることが伺えるだろう。

また、昨年のジューンティーンス(奴隷解放宣言を祝う祝日)には、故ジョージ・フロイドをはじめ警官によって殺害された黒人に捧げた「I Can’t Breathe」と、ブラックパンサー党(黒人解放運動を展開していた急進的政治組織)の委員長がFBIに裏切られるストーリーを描いた映画『ジューダス・アンド・ザ・ブラック・メサイア』のサウンドトラック「Fight for You」の2作でEGOT(エミー賞(Emmy)、グラミー賞(Grammy)、アカデミー賞/オスカー(Oscar)、トニー賞(Tony)の頭文字)の半分を達成し話題になったことは記憶に新しい。

そんな自身のアイデンティティではなくあくまで音楽にフォーカスした明確なコンセプトと、匿名性と神秘性に包まれた唯一無二の歌声によって、瞬く間に王座への道のりを登りつめた彼女が、これ以上ないとでも言えるくらい脂の乗り切ったタイミングでリリースしたのが『Back of My Mind』(心の片隅にあった想い)だ。リリース前に自身のツイッターに投稿したティザー動画からも分かる通り、本作は彼女が経験したことや感じたこと、あるいは怖くて普段口には出せないことなど、ここ数年間で彼女の心の奥底に眠っていた想いの全てだ。

 

壮絶な愛の物語と人生の教訓

失恋した相手のことが忘れられないことを歌ったタイトル曲「Back of My Mind (Ft. Ty Dolla $ign) 」から始まる彼女の魂の物語は、誰もが経験したことのあるような普遍的な物語だ。タイトル曲ながら攻めすぎないビートで十分に成り立つのは、ビートの隙間を縫うような彼女とタイ・ダラー・サインの巧みなボーカルレイヤーがあってこそだろう。

” You still in the back of my mind, uh (My mind, my mind, my mind)
The back of my mind (Oh, oh yeah)
I’m still the greatest of all time (Greatest of all time)
In the back of your mind
But you won’t say it, so nevermind
Another time, another life (Yeah)
And I can’t say it won’t cross the line (Ayy)
And actin’ like, I’ll be alright – Back of My Mind (Ft. Ty Dolla $ign) ”

朋友コーデーを客演に迎えた「Trauma」では、それぞれお互いが人生の痛みを痛烈に吐き出し、続くジャム&ルイスプロデュースのハーブ・アルパート「Making Love in the Rain」のドラムとピアノリフを大胆に引用した「Damage」では、自分を特別視してほしい、そんな恋人への甘えと自らの傷つきやすさを歌ったメッセージを歌っている。シャーデーのような80年代のスローバック・バプを彷彿とさせる艶やかなサウンドと、「Comfortable」や「Damage」でソングライティングを担当したアント・クレモンズのコーラスも聴きどころだ。

恋人への不満が不健全な依存へと変わる様子を歌った「Closer To Me」は、同じベイエリア出身のソウル・クルーナー、ゴアペレ「Closer」をサンプリングしたペインフルな寝室音楽だ。そばにいて欲しいという必死な気持ちは曲を跨ぎ、「Come Through (Ft. Chris Brown)」で、恋人に他の予定を断ってまで自分に会いににきて欲しいと促すのである。

彼女の痛みや不安はアルバムの後半でも歌われている。「Mean It」は本作の中で最もネガティブな彼女が描かれており、自身のアイデンティティを全否定するような辛辣なリリックと、恋人に浮気されて道を見失っている叫びが神秘的なファルセットで表現されている。そんな恋人との当たり前な時間こそが「楽園」だったことはヤング・ブルーとの「Paradise」を聴けば明らかだ。

“ Maybe I should be more like her
Just forget about what’s right, just forget about my worth – Mean It ”

「Hold On」では、恋人を失ってしまう恐怖や不安にかられ眠れないような、相手に依存している様子がノスタルジックなギターに乗せて歌われている。相手を失うことだけに恐れているのではなく、相手に依存することで自分自身も失ってしまうということにも恐れているのだ。

そんな彼女は「Go on and let me, go on set me free/私を解放して、自由にして」と依存関係から抜け出そうと奮闘するのである。奮闘する姿を歌った「Don’t」の、相手を突き放す様子を「You don’t have to stay/もうここにいないで」から「Don’t count on me/私に頼らないで」へ言い換えている秀逸な情景描写は、彼女のソングライターとしての才能と一人の女性としての葛藤が読み取ることができる。

“ Running to you, running from me
Don’t wanna keep on
Don’t wanna be so dependent on you
Dependent on me
Don’t wanna keep on, no – Hold On ”

ダークチャイルドことロドニー・ジャーキンスへオマージュを捧げた「Exhausted」の冒頭では、マイケル・ジャクソン『Invincible』に収録されている「You rock my world」でマイケルが歌ったセリフを引用している。恋人を想うばかりに疲れ切ってしまった彼女は相手を許すのをやめて別れることを決意したのである。ドラム音がないのは少々物足りない気もするが、後半のエモーショナルなトークボックスの音色は二人の愛が断たれる様子を連想させるような最適なBGMと言えるのではないだろうか。

“ Ooh, I need a new bae, need a vacation
I need to stop givin’ my heart and lettin’ ‘em break it (Oh) – Exhausted ”

結果的に「Hard To Love」と「For Anyone」では、「I can’t expect you to fix all my issues/あなたが私を安心させてくれることなんか期待はできない」と失恋を受け入れる一方で、「I don’t wanna be with somebody else, new/新しい恋人と一緒になろうなんて思わないわ」、「Now my heart won’t open for anyone, no/今は(あなた以外の)誰にも心は開けないの」とどうしても相手を忘れられない葛藤を抱えるのである。そんな葛藤を経験した彼女は「Guess love is really blinding me/たぶん愛が私を盲目したんだわ」、「Real love is so hard sometimes/本当に相手を愛することは難しいことだわ」と歌い、愛というものの難しさを学び、愛によって盲目になっていたことを振り返るのである。

“ I wish I could tell you
I don’t wanna be with somebody else, new
Honestly, I wish I never met you
‘Cause you left me broken
Now my heart won’t open for anyone, no (No, no) – For Anyone ”

 

王者として、黒人として、アジア人として、一人の女性として

彼女の心の奥底にある感情は決して半径数メートル以内で完結するものだけではない。それはより広範囲の世の中に向けられた社会的なメッセージも含まれている。

図太い生のドラム音が特徴的な「We Made It」は、彼女のキャリアの可能性を疑っていたレーベルや事務所などの業界関係者へ向けた勝利宣言だ。活動黎明期から制作を共にしている日本人エンジニアMiki Tsutsumiも参加している本曲は、そんな黎明期から共に夢を追いかけてくれた家族や友人に向けた感謝とかつて馬鹿にされた業界関係者に対する復讐を歌っている。

“ They said I won’t come up with the family and cop a couple Grammy’s
All the things they said that I can’t be, revenge taste just like candy, (Yeah) – We Made It ”

リル・ベイビーのアルバムを連想させる「Find A Way」は、自身の名声や成功をボースティングしたり、一方でそれによって周囲の見る目が変わったりと、ミュージシャンの成功までの道のりと心情の変化を描いた典型的なリリックだ。弱冠23歳にして現行R&Bシーンの王者に登りつめた今の彼女は、前作「21」の長閑なビートの上で力まずに「I’m 21 now/私は今21歳」と歌っていた頃とは違い、「ain’t got no time to waste/無駄にする時間なんてないの」と言わんばかりにフローを畳み掛け、そのBPMの変化はまるで彼女自身の心情を表しているようにも聴こえる。

“ Twenty-three, ain’t got no time to waste (Got no time)
No GPS, I bet I find a way (I bet I find a way, I got this shit up out the—) – Find A Way ”

そんな王者にはもう一つの側面があることは忘れてはいけない。それは、黒人でありアジア人であることだ。昨年のジョージ・フロイド氏の悲劇を受けて、その長年に渡る根深い問題がいまだ未解決であることが全世界に知れ渡り、全米でブラック・ライヴズ・マターのムーブメントが起きたことは記憶に新しいが、前述した「I Can’t Breathe」は、そんな世の中に対して黒人コミュニティが置かれている状況を代弁するように書き下ろした彼女の闘いの叫びだった。

グラミー最優秀楽曲賞を受賞した本曲だが、授賞式の場で彼女は「この曲が認められたということは文字通り私がこの時代、この瞬間に、理由があってこの場にいるということだわ。アジア人また黒人のコミュニティを代表して、私たちの気持ちを代弁した歌を描くためにここに立っているの。」と語っており、自身のアイデンティティであるアジア人と黒人のコミュニティをはじめとした社会的マイノリティの立場を代弁する立場にあることを改めて自覚したことが伝わってくる。

そのような彼女のスタンスは本作においても健在であり、「Bloody Waters (Ft. Thundercat)」では、サンダーキャットの壮大なベースラインとケイトラナダのインダストリアルなプロダクションの上で人種差別主義者を罵倒し、白人アメリカ人が犯した歴史的な過ちについて、いまだに会話がないことを嘆いている。社会に向け放たれた彼女なりの力強いメッセージだ。

本作において最も感動的なのが「I Can Have It All (Ft. Bryson Tiller & DJ Khaled)」だ。本曲はDJ・キャレドの最新アルバム収録曲のリミックス版だ。2015年に『TRAPSOUL』でR&Bの新しいサウンドに挑戦した先輩ブライソン・ティラーが、彼女に対し自信を与え勇気づけるような冒頭のフレーズを聴いただけでもR&Bファンとしてはグッとくるのだが、何よりも前述したような痛みや不安は決して無駄ではないと気づき、必死に夢に向かってもがき突き進む彼女の姿が本曲のハイライトだろう。「泥水の中を泳ぐような険しい経験をしてきたからこそ夢が叶うのだ」とでも言うかのように、過去の痛みや不安全てを糧にして未来への自身と決意を示した今の彼女は、文字通り何でも手に入れられるのだ。

“ From the balcony, I see the fountain blue
Over the bridge is muddy waters so your dreams come true
But I can have it all, I can have it
I can have it all, I can have it
From the balcony, I see the fountain blue
Over the bridge is muddy waters so your dreams come true
But I can have it all, I can have it
I can have it all, I can have it – I Can Have It All ”

 

「H.E.R.」の体現と覚悟

「黒人とアジア人のコミュニティそれぞれを見て、共通点やそこに必要な連帯感に気づくことができたわ。両方のコミュニティにおける不公平感や、喪失感、痛み、恐怖などの感情は、私たちを団結させるもの、そして音楽こそがそれらを団結させてくれることだわ。だからこそ、両コミュニティを代表してソング・オブ・ザ・イヤーを受賞したことは、私にとってこれ以上ないタイミングであり、これらのコミュニティを代表することにこれ以上ないほどの興奮と誇りを感じているわ。」

「I Can’t Breathe」でグラミー賞を受賞した際にこのように話した彼女にとって、本作はまさに同曲リリックの「What’s it going to gonna take ?/どうすればいい(何が必要)?」という問いかけ対する彼女なりの答えだったのだろう。本作で歌ったような彼女の弱さや脆さは誰しもが心の奥底に抱える感情であり、それこそが人種や国境を越えて共感を呼び、団結させるものなのだ。「H.E.R.(Having Everything Revealed)」の文字通り、現行R&Bシーンの王者として、黒人として、アジア人として、一人の女性として、自身のアイデンティティを前面に出し「H.E.R.」としてではなく「ガブリエラ・ウィルソン」としての真の彼女の想いやメッセージを初めて打ち明けた本作は、まさしくデビューアルバムと呼ぶに相応しい作品であることは間違いないだろう。

また、ディアンジェロが「Voodoo」で実践したような生バンド演奏を取り入れた先代ソウルのヒップホップ的再解釈やプリンスを意識したジャンルレスでスリリングな音楽的なアプローチ、フージーズを彷彿とさせるようなアルバム一枚を通した視覚的なストーリーテリングなどを意識した彼女のクリエイティビティに注目すれば、いかに彼女が先人達の音楽をリスペクトし、それらを自らの音楽で昇華し次世代に繋いでいこうとする姿勢が伝わってくるのではないだろうか。自ら「Celebration of R&B」と呼称する本作は、彼女にとってR&Bの未来を背負っていこうとする覚悟そのものだ。

現に、インスタグラムでのライブ配信企画「Girls With Guitars」で幅広いミュージシャンや視聴者とセッションをしたり、毎年開催している彼女主催の『LIGHTS ON FESTIVAL』では、若いアーティストのみをキュレーションして次世代のR&Bミュージシャンをエンパワーするような活動もしている。今の彼女には1秒たりとも無駄にする時間はないのだ。

LIGHTS ON FESTIVAL

Credit

Text : 平川 拓海
学生時代に始めたストリートダンスやクラブでのバイトを通して、音楽を中心としたストリートカルチャーに触れる。在学中に『TALENTED_TENTH 〜ラップ・ミュージックは何を伝えたのか〜』を執筆。現在はサラリーマンをする傍ら、音楽ライター/音楽キュレーター/DJとして活動中。クラブで踊る時間が一番の幸せ。(IG : @_takumihirakawa )(TW : @_takumihirakawa

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