FKA TWIGS

Music Video

Don’t Judge Me - FKA Twigs, Headie One, Fred Again..| 身体と社会の関係性、あるいは戦うということについて

February 04, 2020

疲れ果てた顔で電車に揺られ、土砂降りの雨に降られ帰宅する。部屋に入り、Siriに「音楽をかけて」と言うと、Anderson. Paak -「Till It’s Over」が鳴り出す。たちまち疲れ果てていた体が音楽に乗り始め、部屋の空間も広がっていく。スパイク・ジョーンズによるApple HomePodのCMで FKA Twigs が軽やかに踊って見せていたのは2018年のことだ。

一方、2021年、彼女は対照的な心象風景の中で踊っている。先日公開されたFKA Twigs、Headie One、Fred Again..の3人による楽曲「Don’t Judge Me」のミュージックビデオは、力強いメッセージ性を帯びた、ハイクオリティな作品となっていた。

 

多彩なアーティストによるプロジェクト

まずは楽曲の話から。今回の楽曲自体はHeadie OneとFred Again..による昨年リリースされたミックステープ作品『GANG』の収録曲「Judge Me feat.FKA Twigs」が元になっており、この曲の続編的な位置づけということになるだろう(この2曲は続けて聴いてみてもシームレスにつながっていくような連続性をも持っている)

Headie One と Fred Again.. の二人によるプロジェクトの収録曲であるため、前作ではフィーチャリングという形でクレジットされていた FKA Twigs だが、今回は3人の名義が並列に並べられた形となった。

そもそも前作は、ミックステープ作品『GANG』の中でインタールードとして位置づけられていたトラックであるのだが、Headie One のようなUKドリルシーンで活躍する存在が、元々インディ且つオルタナティブな存在である FKA Twigs と合流したこと自体は、このミックステープ作品の中でも、ひときわ特徴的なことの一つとして、リスナーに記憶されていただろう。

実際、『GANG』というミックステープ作品自体が、UKドリルの枠を超えた、多彩なサウンドで作品全体の展開を演出するような作品だった。寧ろ、彼ら二人としては、その作品全体の展開の一部であった、せっかくのコラボレーションをもう少し拡大したいという思いがあったのかもしれない。もしくは、前作「Judge Me feat. FKA Twigs」自体が、今回のプロジェクトのための準備だったようにすら思える。

加えて、今回の「Don’t Judge Me」の方では、プロデュースにスペイン出身のミュージシャン、プロデューサーの El Guincho を招いている。例えば、近年ではフランク・オーシャンの「Dear April」と「Cayendo」にギターで参加し、フォーク的な要素を楽曲に付与する一因となっていたり、あるいは、過去に FKA Twigs が批評などでたびたび比較対象とされていたビヨークや、FKA Twigs の初期作にプロデューサーとして重要な役割を果たしていたアルカのプロデュースも手掛けている人物だ。

この曲における、ドラムスのラテン的な側面は彼の参加によってなされたことだと考えられる。彼を新しく取り込んだことも、FKA Twigs を介して、ドリルの枠を超えた、多彩なサウンドプロダクションを追い求めた結果といえるのではないだろうか。(一方で、制作中の FKA Twigs のニューアルバムに彼が大々的に参加しているらしいという話もある)

FKA Twigsの身体表現の追求

そういった Headie One と Fred Again.. の音楽的な文脈がある一方で、自身のインスタグラムにて FKA Twigs は、今回のプロジェクトが彼女にとって非常に個人的で特別なものであるともコメントしている。さらに、彼女が楽曲だけでなく、ミュージックビデオにおいても、今回の作品に創作面で積極的にかかわっているのは明らかだろう。何を隠そう、本楽曲のミュージックビデオを、マドンナとのMV仕事や、ビヨンセ『Black Is King』への参加も話題となった Emmanuel Adjei と共同で監督したのが、他でもない彼女なのである。

これまでにも、監督として自身のミュージックビデオをいくつか手掛けてきた経験もある彼女が監督に名を連ねていることは、彼女のビデオ作品を追ってきた者にとっては驚くことではないかもしれない。さらに、このミュージックビデオは、ある部屋の中(彼女の心象風景と思われる抽象的な場所)で、見えない敵と、まるでダンスのように華麗な戦闘(抵抗)をする FKA Twigs をスタイリッシュに捉えており、そういう意味でも、彼女のパフォーマー/クリエイターとしての多彩な才能が詰め込まれている映像作品だといえるだろう。

さらに、昨年公開され、彼女の映像作品としては前作にあたる「Sad Day」のミュージックビデオを撮っていたのは「多彩さ」という意味ではFKA Twigsに負けず劣らずなチャイルディッシュ・ガンビーノと映像クリエイティブ上のパートナーであるヒロ・ムライだ。この曲自体は、喪失感とメランコリックなムードに包まれた恋愛について歌であるが、彼が手掛けた7分にも及ぶ、ミュージックビデオの枠を超えるようなショートフィルム作品でも、彼女のダンスが戦闘武術的な舞を見せていたのは、多くの人の記憶に新しいと思う。

前提として、彼女の作品において「身体」は一つの一貫したモチーフであった。基本的に内省的な失恋や愛について歌っているような過去のアルバム作品においても、所々に表れる性愛的なニュアンスと、身体的な表現により、常に人間の身体が湛えているある種のシュールさとダイナミズムを感じさせ、同時にメランコリックな内省との関係性がまとわりつくようなイメージがある。

これは、ミュージックビデオにも顕著だ。例えば、彼女が自ら監督している作品に目を向けてみても、「Pendulum(2015)」では、自由を奪われた彼女の姿(全身がロープでつるされたり、彼女の長い髪がマリオネットのように操られたり)と、解放を示すダンスが見られ、「Home with You(2019)」でも、ナイトクラブから抜け出し、ドライブをしながらダンスをする姿や、ラストにて、彼女の腹部の皮膚に眼球が埋め込まれている奇妙で少しギョッとする描写がみられる。無機質に表現される束縛、ダンスによって表現される解放、そして肉体のフィジカルな感触、美しさと不気味さ。

こういった身体の表現を、ビデオ上で追及してきた彼女は「Sad Day」のミュージックビデオにおいて、また新たにその表現を更新する。
このビデオで、恋愛における男女の出会い、ぶつかり合いを、前述したような武術的な戦闘のアクションで展開させて見せたのだ。この映像作品は、失恋の喪失感、メランコリックな心境を究極的にフィジカルな表現に還元していた。そして、その「戦う」というアクション、モチーフがよりストレートな、そして社会に接続する表現として、受け継がれたのが今作「Don’t Judge Me」のミュージックビデオだといえる。

 

ミュージックビデオが映したもの

今作の監督 Emmanuel Adjei は、MVとともに公開されたコメントでこの作品のテーマに言及している。Adjei によると、この作品で表現しているのは、社会の中に潜む見えない抑圧者からの、人種、性別に対する差別や暴力、そして作品の中の踊り(戦闘)は、そういった正体が見えない加害者からの日常的な抑圧に対して、戦っている姿だという。

それを踏まえて見ると、部屋の中で見えない敵と戦っている FKA Twigs のほかにも、例えば、終盤のカットで、どうやら手に手錠をさせられ押さえつけられているような(そしてそのシーンには警察無線のような音声をもかぶせている)場面がある。イギリスでも、黒人の人々への人種的な、権力側や社会からの抑圧や差別が絶えないことを表現しているのだろうか。曲の歌詞自体も、抽象的な表現の多い FKA Twigs のパートに対して、Headie One のヴァースがかなりストレートな表現で、この作品の社会的なテーマを表している。

一方で、我々は FKA Twigs がパートナーであった俳優のシャイア・ラブーフを性的暴行で告発したことを知っている。現に、今までの彼女の作品にも、アクチュアルに自身の経験と接続していくような作品はあった。前述したインスタグラムでの彼女のコメントも併せて考えると、彼女のプライベートでの経験も今回の作品に影響しているのではないかと、勝手ながら繋げて見てしまう。

同時に、以前から彼女の表現が「女性の身体を持ち生きていくこと」に意識的に向き合うことで、世間の価値観や社会との関係性を映し出していたことも確かだ。そのうえで、今作において彼女の表現は、よりストレートに社会的なテーマを象徴するようなものになっているのである。この背景にはBLMをはじめとする、近年の世界的な流れも影響しているだろう。

因みに、この作品の舞台の一つであるコンテンポラリー・アーティストのカーラ・ウォーカーが手掛けた「Fons Americanus」という巨大な噴水を模したアート作品は、奴隷制度、植民地支配などの暴力的な歴史について訴えた作品であるそうだ。このような文脈が張られていることからも、現代の数々のアーティストと問題意識を共有し、表現しようとする姿勢が見える。

また、今回のビデオ作品全体としては、よりストレートな表現に収まっていることで、監督 Emmanuel Adjei の過去作と比べてみても、よりシンプルな作品になっているのも事実だろう。Emmanuel Adjei が監督したマドンナ「Dark Bullet」のミュージックビデオを初めてみた時の衝撃、あるいは、FKA Twigsの過去の映像作品に時折みられるユニークで斬新なビジュアルイメージ、または「Sad Day」のようなアクションで斬新に語るストーリーテリングを超えるような、ビジュアルとしてのインパクトは正直見つかりにくい。そういう意味で、今回の作品は、それぞれのアーティストの今までの表現が高いレベルで更新され、よりアクチュアルに、且つ完全にシリアスに寄ったアート作品であるともいえるだろう。

しかし、今回の作品が FKA Twigs の高い身体性と、それぞれのアーティストの問題意識とアイデアによってもたらされた成果であるのは間違いない。現在、リリースも期待されている FKA Twigs の製作中のニューアルバムがどういった内容になっているのか、今作や、最近の彼女の動向から様々に想像ができるかもしれない。

一つ確かなのは、このミュージックビデオのファーストシーンに反復するように、椅子に引き戻された彼女はラストカットで再び前を向いている。彼女が踊りを止めることはなさそうだ。

Credit

Writer : 市川タツキ

幼い頃から、映画をはじめとする映像作品に関心を深めながら、高校時代に、音楽全般にも興味を持ち始め、特にヒップホップ音楽全般を聞くようになる。現在都内の大学に通いつつ、映画全般、ヒップホップカルチャー全般やブラックミュージックを熱心に追い続けている。(IG : @tatsuki_99 )(TW : @tatsuki_m99

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